23.01.11  機関紙1月号をアップしました

第49次寿越冬闘争取り組まれる

第49次寿越冬闘争労働相談

横浜寿町は港横浜の発展を支えた日雇い労働者の街である。しかし現在は高齢化が進み生活保護世帯が増えて「福祉の街」になりつつある。
役所が閉まるこの時期「一人の犠牲者も出さない」をスローガンに第49次寿越冬闘争が取り組まれた。12月30日から炊き出しが行われ、31日には年越そば、1日にはお赤飯弁当が配られた。今年の配食は500食にもなったそうだ。又、野宿者を対象にした夜間のパトロールも取り組まれている。県共闘は、神奈川労連や神奈川交流、JAL争議団の仲間の協力を得て労働相談カフェを取り組んだ。「誰もが歳を取る中で一人ひとりの生きざまを認め合いお互い助け合って生きていく」ことが改めて大切だと思わされた。
昔を懐かしみながら、「明日の話ができる社会」にしていくことが望ましい。物価が上がり、給料は上がらず、生活保護費も下げられて暮らしづらくなった世の中だが、だからこそ不満を述べるだけでなく、お互いの命を大切にして、支え合って生きる社会を創っていくことが必要だ。寿越冬闘争は、私達にそのことを再認識させて、23年新たな年の幕を開けた。今年は良い年にして行こう!

米山

寿医療班からみた越冬闘争

寿町越冬闘争は第49次、当方は医療班として36回目の越冬を迎えました。この間、変わってきた寿の町と支援者について記します。

①労働者の町から社会資源の実験場に

80年代、まだ健全な日雇い労働市場が稼働し、来談者の平均年齢が40歳前後、越冬もエネルギッシュで大騒ぎでした。90年代には一時大量の外国人労働者の住む町となり、寿公園から日本語が聞けなくなる有様、2000年以降、来談者平均年齢が70歳近くになり、様々な介護保険・障がい者支援事業が立ち上がり、まるで社会資源の実験場のように。福祉・介護サービス受給者が急速に増え、気が付けば、紳士の町になっていました。

②支援者は今

若手医師・看護師・学生、を中心に構成され、エリート集団だと軋轢を持ちましたが、時間をかけ溶け込んでいきました。90年代の川崎越冬に、医療班の大半が向かいました。あの若手支援者は今、それぞれの職場や地域で活躍しているようで、医療班は活動家養成所のようなものです。

③越冬での、ある出会い・・・マージナルな放浪者

 20年程前、ある労働者が、象形文字のようなものを書いて「これ、わかりますか」と言われるも、誰も分かりません。肩を落として去っていきました。その後、山窩(サンカ)文字だとわかりましたが、二度と会えません。どんな人生を経てきたのか、辺縁(マージナル)の放浪者との出会いでした。

寿医療班&らぽおるの樹分会 八谷俊彦

タイトルとURLをコピーしました